福岡高等裁判所 平成12年(ネ)70号・平11年(ネ)1004号 判決
被控訴人(附帯控訴人。以下「被控訴人」という。) 株式会社整理回収機構
右代表者代表取締役 鬼追明夫
右訴訟代理人弁護士 黒木和彰
同 田中俊夫
同 内川寛
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴人は、被控訴人に対し、金二五五万八三八七円を支払え。
三 被控訴人の当審における拡張後のその余の請求を棄却する。
四 控訴費用は控訴人の、附帯控訴費用はこれを五分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の、各負担とする。
五 この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 附帯控訴の趣旨
1 控訴人は、被控訴人に対し、金三〇九万円を支払え。
2 附帯控訴費用は控訴人の負担とする。
3 仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、宗教法人天理教銀峰分教会(以下「分教会」という。)の所有する別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)につき抵当権(以下「本件抵当権」という。)を有する被控訴人が、同抵当権に基づく物上代位により、分教会から本件建物を賃借している控訴人を第三債務者として、分教会の控訴人に対する賃料債権のうち、差押命令送達日以降に支払期の到来する分(以下「本件賃料債権」という。)を被差押債権とする差押命令(以下「本件差押命令」ないし「本件差押え」という。)を得た上で、これの取立権に基づき、控訴人に対し、本件賃料債権のうち平成一一年七月分から九月分までの合計三〇九万円の支払を求めた(なお、被控訴人は、当審において、附帯控訴に基づく請求の拡張により、平成一一年一〇月分から一二月分までの本件賃料債権合計三〇九万円の支払をも求めた。)ところ、控訴人において、本件建物に係る賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」ないし「本件賃貸借」という。)の締結に当たり、控訴人が分教会に支払っていた五〇〇万円の保証金(以下「本件保証金」という。)返還請求権を自働債権とし、本件賃料債権を受働債権として対当額で相殺した(以下「本件相殺」という。)ので、本件賃料債権は、その限度で消滅していると主張して争っている事案である。
一 前提となる事実(証拠の摘示がないのは、争いのない部分である。)
1 分教会は、平成二年一〇月一日、本件建物とその敷地を買い受けるとともに、同日、右各物件につき、株式会社住宅ローンサービスのために本件抵当権を設定し、同日その旨の登記を経由したが、被控訴人は、平成八年一〇月一日、同日付け債権譲渡を原因として、株式会社住宅ローンサービスから本件抵当権の移転を受け、平成九年三月二八日、その旨の登記を経由した(甲六、七、乙八及び弁論の全趣旨。)。
2 控訴人は、平成六年八月一八日、分教会との間で、本件建物につき、次の内容の本件賃貸借契約を締結し(ただし、当初の賃借人名義は櫻井仁であったが、平成八年七月一五日以降は、本来の賃借人である控訴人名義とされた。)、その後、同契約を更新して、後記4で認定する明渡しをするまで、同建物を使用していた(控訴人が分教会から本件差押えより前から本件建物を左記賃料で賃借していたこと以外の事実につき、甲及び乙の各一、二並びに弁論の全趣旨。)。
使用目的 衣料品販売
契約期間 平成六年九月一日から平成七年八月三一日まで
賃料 月額一〇三万円(消費税込み)
敷金 一〇〇〇万円
保証金 五〇〇万円
3 被控訴人は、熊本地方裁判所宮地支部に、本件抵当権に基づく物上代位により、同抵当権の被担保債権である三億七八六四万六六七四円に満つるまで、分教会の控訴人に対する本件賃料債権を被差押債権として本件差押命令の申立て(熊本地方裁判所宮地支部平成一一年(ナ)第三号)をなし、平成一一年六月二九日、同差押命令を得たところ、これは、いずれも同月三〇日、債務者兼所有者である分教会及び第三債務者である控訴人に対し、それぞれ送達された。そして、右送達後一週間を経過した。
4 控訴人は、平成一一年七月分以降、本件賃料の支払を止めていたが、同年一二月一五日、分教会との間で本件賃貸借契約を合意解約の上、分教会に対し、本件建物を明け渡した。
5 控訴人は、平成一二年二月二八日付け内容証明郵便により、分教会に対し、本件保証金返還請求権と分教会の控訴人に対する同年七月一日から同年一二月一五日までの間の本件賃料債権合計五七五万八〇六五円(月額一〇五万円(消費税分五万円を含む)。ただし、一二月分については日割計算したもの。)とを対当額で相殺する旨の本件相殺の意思表示をした(乙七)。
二 争点
1 抵当権に基づく物上代位による差押えと相殺との優劣。
2 仮に相殺が優先する場合、本件相殺の効力(本件保証金返還請求権は本件差押えより前に発生していたか。)。
三 争点に関する主張
1 争点1について
(控訴人)
(一) 相殺と差押えとの優劣に関しては、民法五一一条について、最高裁判所昭和四五年六月二四日大法廷判決(民集二四巻六号五八七頁。以下「昭和四五年判決」という。)は、「債権が差し押さえられた場合において、第三債務者が債務者に対して反対債権を有していたときは、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、右債権及び被差押債権の弁済期の前後を問わず、両者が相殺適状に達しさえすれば、第三債務者は、差押後においても、右反対債権を自働債権として、被差押債権と相殺することができる。」と判示しており、右の理は、本件差押えと本件相殺との間においても適用されると解するべきである。
なお、被控訴人が引用する最高裁判所平成一〇年一月三〇日第二小法廷判決(民集五二巻一号一頁。以下「平成一〇年判決」という。)によって、当然に右解釈が否定されるものではなく、抵当権者の(賃料債権に対する)物上代位と相殺の優劣が問題となった場合には、個別の観点からの利益衡量や法的判断があってしかるべきである。そして、本件のごとき一般の店舗賃貸借の慣行に照らすと、賃料債権と保証金返還請求権との相殺可能性の存在は、被控訴人において少なくとも「知り得べかりし」ことであり、控訴人のかかる期待権を保護することは何ら不当ではなく、執行妨害的な相殺が懸念されるということであれば、登記を基準とすることによりこれを抑制するのではなく、その場合は、相殺権の濫用の問題として解決すれば足りるというべきである。そして、次のような利益情況を考慮するとき、控訴人の本件相殺を有効としても、控訴人と被控訴人の利益衡量として適正を欠く点はなく、むしろ、妥当な解決というべきである。
(1) 賃貸借契約の解除のような賃貸借契約自体に内在する権利行使は、差押えを対抗要件とするか、抵当権設定登記を対抗要件とするかのいずれの立場に立つかとは関わりなく、これが肯定されている。そうであれば、賃借建物明渡後に、建物賃貸借と密接な関連のある保証金返還請求権を自働債権とする相殺は、賃貸借契約自体に内在する抗弁(権利行使)として、これを肯定してしかるべきである。
(2) 本件の場合、控訴人において、平成一一年の賃料相場からみて高額となっていた本件の賃料につき、賃貸人である分教会と値下げ交渉を行う積もりでいたところ、その直前になって、本件差押命令が発令されたことから、本件建物を継続して賃借すれば月額一〇〇万円を超える賃料の支払を免れ得ず、これを避けるためには、使い勝手の良かった同建物から退去することを決意せざるを得なかったものである。一方、被控訴人については、控訴人が前記のとおり同建物から退去したため、賃借権等の負担のない同建物及びその敷地の交換価値を一〇〇パーセント把握したのであるから、それ以上に、抵当権者を優遇する必要は一切ないというべきである。
(二) 以上のとおりであるから、本件相殺には昭和四五年判決の適用があり、また、民法三〇四条一項ただし書にいう「払渡又ハ引渡」には相殺も含まれると解すべきである。
(被控訴人)
(一) 前記平成一〇年判決は、抵当権による賃料債権に対する物上代位を肯定した最高裁判所平成元年一〇月二七日第二小法廷判決(民集四三巻九号一〇七〇頁)を踏まえて、「民法三七二条において準用する三〇四条一項ただし書が抵当権者が物上代位権を行使するには払渡し又は引渡しの前に差押えをすることを要するとした趣旨目的は、主として、抵当権の効力が物上代位の目的となる債権にも及ぶことから、右債権の債務者(以下「第三債務者」という。)は、右債権の債権者である抵当不動産の所有者(以下「抵当権設定者」という。)に弁済をしても弁済による目的債権の消滅の効果を抵当権者に対抗できないという不安定な地位に置かれる可能性があるため、差押えを物上代位権行使の要件とし、第三債務者は、差押命令の送達を受ける前には抵当権設定者に弁済をすれば足り、右弁済による目的債権消滅の効果を抵当権者にも対抗することができることにして、二重弁済を強いられる危険から第三債務者を保護するという点にある。」と判示した。
右両最高裁判所判決を前提にすれば、抵当権に基づく物上代位の差押えの法的性格は次のように解するべきである。
すなわち、抵当権が設定されたことによりその効力が物上代位の目的物である賃料債権に及んでおり、抵当権設定登記により右物上代位効についても対抗要件を備えているのであるから、物上代位に基づく差押えは、昭和四五年判決の事案における租税債権の差押えとは異なり、差押手続により初めて被差押債権について掴取力を有するに至るものではなく、前記抵当権設定時より包括的に抵当権者が把握している抵当物件の価値代替物に対する効力を実現化するための手続であると解される。
これに対して、相殺の有する担保的機能は、あくまで事実上の機能であって、公示方法もないのであるから、相殺に担保物権に認められるような優先弁済権までは認められるべきではない。また、相殺権者が、相殺について有する合理的期待は、自働債権を取得したときであるのに対して、抵当権者は、抵当権の設定登記により、実体的には物上代位による賃料債権掴取に対する期待を有しているのである。
以上の諸点からすれば、昭和四五年判決は、本件のように抵当権に基づく物上代位による差押えの場合には適用がなく、物上代位による差押えと相殺の優劣は、抵当権設定登記と相殺権者の反対債権の取得の時期の先後により決すべきである。
(二) 以上のとおり、抵当権の物上代位による差押えについては、昭和四五年判決の適用はなく、また、抵当権者が物上代位権を行使するには、民法三〇四条一項ただし書が第三債務者による「払渡又ハ引渡」前に差押えをすることを要件としているのは、第三債務者を二重弁済の危険から保護する趣旨であるとしていることに照らせば、相殺は、右の「払渡又ハ引渡」には含まれないと解するのが相当である。
2 争点2について
(控訴人)
(一) 本件賃貸借契約上、本件保証金は、敷金とは別個に定められ、明渡し時点で存する賃借人の滞納賃料等をこれから当然に控除する旨の条項は置かれていないことのほか、賃借人(控訴人)が一年未満で本件賃貸借契約を解約する場合は、保証金は返還されないものとされ、本件保証金が、即時解約金に当たる旨が明定されていることなどを総合すれば、本件保証金返還請求権は、敷金返還請求権とは別異のものと解すべきである。
(二) 本件保証金の返還時期は、本件賃貸借契約においては明記されていないが、当事者の合理的意思解釈としては、本件建物の明渡し時というべきである。
すなわち、右の約定の趣旨を総合すれば、本件保証金は、敷金とは異なり、本件賃貸借契約が一年継続した時点(平成七年九月)に、返還されるべき額は五〇〇万円と特定され、それ以降、本件保証金返還請求権は、停止条件付債権としてではなく、弁済期が、賃借人による本件建物の明渡し時であるという不確定期限付債権として成立していたと解されるのである。
(三) したがって、本件差押命令の前に、本件相殺に係る自働債権である本件保証金返還請求権が成立していたことは明らかである。
(被控訴人)
(一) 本件賃貸借契約上、本件保証金の額は、賃料の約五倍であり、敷金と著しく異なる建設協力金などの趣旨であると解すべき根拠に乏しく、また、本件賃貸借の敷金が賃料の一〇倍程度であり、仮に、賃料その他の不足が生じた場合に、それを本件保証金から控除することを排除していたと解する根拠にも乏しいことなどからすると、本件保証金返還請求権が、敷金とは全く別個に、不確定期限付債権として発生していたとは解し得ない。そうであるならば、本件保証金返還請求権は、敷金と同様に、本件建物明渡しの時に発生したものというべきである。
(二) したがって、本件保証金返還請求権は、本件差押えの後に発生したものであるから、本件相殺と本件差押えとの間に昭和四五年判決が適用され、相殺が民法三〇四条一項ただし書の「払渡又ハ引渡」に含まれるとしても、控訴人の本件相殺の主張は理由がない。
第三争点に対する判断
一 争点1について
1 相殺は、相互に同種の債権を有する当事者間において、相対立する債権債務関係を簡易な方法によって決済することにより、両者の右関係を円滑かつ公平に処理することを目的とする合理的な制度であり、相殺権を行使する債権者の立場からすれば、債務者の資力が不十分な場合においても、自己の債権については確実かつ十分な弁済を受けたと同様な利益を受けることができる点において担保的機能を有するものであり、そのような当事者の立場からの相殺に対する合理的期待は保護するに値するということができ、一般に、債権が差し押さえられた場合において、第三債務者が債務者に反対債権を有していたときは、その債権が差押後に取得されたものでないかぎり、右債権及び被差押債権の弁済期の前後を問わず、両者が相殺適状に達しさえすれば、第三債務者は、差押後においても、右反対債権を自働債権として被差押債権と相殺することができる。
しかし、差押えが抵当権に基づく物上代位権の行使によるものである場合には、物上代位権も、差押えをすることを前提としながらも、抵当権と同じ優先的効力が認められるべきであり、抵当権の効力が物上代位の目的物についても及ぶことは、抵当権設定登記によって公示されているとみることができるのである。そして、物上代位権の行使による差押えの趣旨は、物上代位の目的である債権の特定性を保持させるとともに、第三債務者を二重払いの危険から保護することにあると解されるから、それによる差押えは、差押えによって初めてその目的物を掴取する一般の差押えとは、抵当権設定の時から及んでいる効力を実現化するための手段であるという点において異なるというべきである。
ところで、本件は、前示のとおり、本件抵当権設定登記の後に、本件賃貸借契約の締結、本件保証金の支払がなされ、かつ、本件保証金返還請求権が発生したことが明らかであるから、本件賃貸借は、元来、短期賃貸借の制限内で抵当権者に対抗できるにすぎないものであり、賃借人である控訴人としては、本件賃貸借契約の締結に際し、既に本件抵当権が設定されていることを知り得たばかりでなく、賃料債権について物上代位権が行使されることがあり得ることも十分に予想できたのであるから、物上代位権の行使によって不測の損害を被るとはいえない。これに対し、相殺を物上代位権の行使による差押えより優先するものと解すると、抵当権設定者は、抵当権設定後にその目的物件に多額の保証金の支払を条件とする賃貸借契約を締結し、抵当権を無力化することや、また、抵当権者からの差押えの前に相殺することによって容易に物上代位権の行使を免れることができるようになるが、このような事態は抵当権者を不当に害するというべきである。以上によれば、抵当権設定登記により公示されている抵当権者である被控訴人の物上代位権の行使としての差押えは、賃借人である控訴人の本件保証金返還請求権と本件賃料債権との相殺に優先するものと解するのが相当である。
もっとも、抵当権設定登記より前に成立した、抵当権者に対抗できる賃貸借契約に関するすべての場合に右と同様に解するときには、賃借人の相殺権行使に対する合理的な期待を不当に侵害し、既に賃貸借が存在し、敷金ないし保証金が授受されていることを十分知り得る状況下で抵当権を設定した債権者を過大に保護することになるといえないではなく、別の利益衡量の要素を検討すべきであるとする控訴人の主張もその限度において考慮に値するところであるが、少なくとも、本件のように抵当権設定登記より後に成立した賃借権の場合には、右のとおり、物上代位による差押えが控訴人による相殺に優先するものと解すべきである。
2 以上のとおりであるから、控訴人の相殺の抗弁は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
二 本件賃貸借の賃料が月額一〇三万円であることは当事者間に争いがないから、被控訴人の本件賃料債権のうち平成一一年七月分から九月分までの合計三〇九万円の支払を求める請求は理由がある。また、被控訴人の附帯控訴により拡張された本件賃料債権のうち同年一〇月分から一二月分までの合計三〇九万円の請求は、同年一二月一五日をもって本件賃貸借契約が合意解約され、本件建物が明け渡されたことは争いがないから、同年一〇月及び一一月分と一二月分として同月一日から一五日までの分の合計二五五万八三八七円の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がない。
(計算式)
103万円×2+(103万円×15÷31)=255万8387円
第四以上のとおり、原判決は正当であるから、本件控訴はこれを棄却し、本件附帯控訴に基づき拡張された請求は、二五五万八三八七円の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。
よって、訴訟費用の負担につき、民訴法六七条一項本文、六一条、六四条一項本文を、仮執行の宣言につき同法二五九条を各適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 吉原耕平 裁判官 石村太郎 裁判官 高野裕)
(別紙)
物件目録
所在 熊本市手取本町三番地一五
家屋番号 三番一五
種類 店舗・事務所
構造 鉄筋コンクリート・鉄骨造陸屋根三階建
床面積 一階 六三・四七平方メートル
二階 五三・六七平方メートル
三階 四二・三九平方メートル
以上